中国からの文化的距離で描いた地図

日本文化の孤立状況を正確に捉えるためにコグート=シン指数を使って地図を作ったが、中国に住む人びとから中国が中心の地図も作ってくれとの要望が多々あったので、作りました。

中国と文化的に近くにある国は、香港、シンガポール、インドネシア、ベトナム、インド、バングラデシュです。距離=1では、台湾も韓国も入りません。

他の地図も同様ですが、この地図で正確なのは、中心からの距離と個人主義・集団主義の方向感、そして男らしさ(右)と女らしさ(左)だけです。5次元空間での位置関係を2次元に射像しているので、限界がどうしてもでるのです。

中国人と長期指向次元軸

ホフステードの長期指向・短期指向の次元で、中国は日本とほぼ同じ点数です(それぞれ87と88)。そしてこれは米国の26に比べるとはるかに長期指向側に位置しています。

つまり、中国人も日本人も時間軸上の将来に重点を置いているのに対し、米国人は過去、あるいは今に重点を置いているのです。

中国人の長期指向の一つの典型は、「管鮑之交(かんぽうのまじわり)」の故事でしょう。幼いころからこの四字熟語で「堅い友情は子々孫々の繁栄に繋がる」と中国人は学びますから、一度友人になるとその関係は生涯あるいはそれ以上続きます。

友人の間での貸し借りは、日本人はできるだけ短期に精算しようとしますが、中国人は貸し借りも絆の一つと考えますから、お互いに早期に精算しようとはしません。

中国人が長期指向だと言うホフステードの考えに、このように私も異存はないのです。しかし、そう思えない日本人は多いと思います。その理由は何なのでしょうか。

「内集団への忠誠」(自分の属する集団の義務遂行を大切に思う感情。世界の人びとが普遍的に持っている)の意識の有無が関係しています。

会社に属することが子々孫々の繁栄に繋がると信じれば、中国人は長期指向でいろいろな提案をし、自主的に取り組むと思います。反対に、会社への帰属意識が低いと、中国人にとって会社は他人事であり、短期の付き合いであり、チームワークも何もないのです。

どの集団に自分が属しているか、その集団の身内と思っているかは、人びとの道徳観や価値観に大きな影響を与えます。

会社に属することが長期の利益に繋がると考える日本人は多いのですが、中国人は、会社は董事長や総経理の持ち物だと言う意識が強く、帰属意識は通常高くはありません。

そうした従業員の帰属意識を高めるためには大変な投資が必要なのだと言う意味で、私の講義では火鍋チェーンの事例を照会しています。

異文化対応力を鍛える!@蘇州

2015-09-12 蘇州で表題の短い講演をします。以下はその紹介:

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私は、学生時代、サンケイ・スカラシップを使って2年間フランスへ留学、その後富士通の技術部門に入り、2005年から6年半 南京で会社経営に携わりました。振り返ると、「多様な人々をどう組織化するか?」をずっと考えてきたように思います。

2012年からこれを社内教育する立場で、そして2013年からは放送大学で講義する立場で見直すと、きわめて多くの科学的成果が使えることに気付きました:

・組織の5つの基本課題(組織心理学)
・肯定的な異文化接触の3つの条件(社会心理学)
・人々の行動を理解する四つの切り口(社会心理学、他)
・国民性の6つの次元軸(社会心理学)
・人々を組織化する生得的能力(進化心理学)
・世界の人々に共通する5つ道徳基盤(道徳心理学)
・人々が理解し合うためにキーとなる高次の省察能力(進化心理学)
・異文化対応に必要な4つの能力と学習方法(社会心理学)
・多様性を原動力とする変革のリーダーシップ(ハーバードBS)

心理学者の著作は読みにくいものが多いのですが、彼らの科学的成果はビジネス、特に海外ビジネスで使えるし、欧米では実際に使われています。TEDなどのインターネットはもちろん、NHKのテレビ番組でも徐々に紹介されています。放送大学での講義は12時間ですが、蘇州での持ち時間は2時間と制約があります。このため詳しくは説明できませんが、ポイントとなる考え方を私の経験に沿いながらお話しようと思います。

講義資料の抜粋は以下にあります: CulturalIntelligenceDigest_150912.pdf

管鮑之交 - 堅い友情は子々孫々の繁栄に繋がる

管鮑之交(かんぽうのまじわり)は、友情についての中国人の考えに強く影響している史記の一節だが、多くの日本人はこれを正しく理解していない。

管鮑之交が語っていることは、「堅い友情は子々孫々の繁栄に繋がる」と言う中国伝統の友情論だ。「子々孫々の繁栄」とは、家族集団第一主義の中国ではほぼ人生の目的と言えるほど重要だと言う意味だ。そして、堅い友情とは何かと言うと、「どんなことがあっても友人をステレオタイプで判断せず、友人を信頼し彼の行動の背景にある彼の立場で友人を理解し、そして周囲がなんと言おうと擁護すること」なのである。

現代的に言えば、「友人にはレヴィンの法則を徹底適用し、彼を理解し擁護するべきだ。それが長期的な利益になる」と言うこと。

この故事を分かりやすく日本語で説明した資料が見当たらないので、中国のインターネット上の記事を日本語に翻訳した。中国人が子ども向けにどう言い聞かせているかが分かると思う。

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 昔、斉の国に仲のよい友人がいた。一人は管仲で、もう一人は鮑叔である。若い頃、管仲の家は貧乏で、その上お母さんを養う必要があった。鮑叔はそれを知って、管仲と一緒に商いをすることにした。しかし、商いをするにも管仲はお金がなかったから、必要なお金はほぼすべて鮑叔が出した。ところが、お金が儲かって、それを分けるとき、管仲は鮑叔より多く取ったので、鮑叔の下男が「元手は私たちの主人が出したのに、分け前を主人より多く取るなんて、管仲はおかしい」と言った。それに対して鮑叔は、「そんなことを言ってはならない。管仲の家は貧しい上に、お母さんを養う必要がある。少しぐらい余分にお金を取っても良いじゃないか」と言った。

 ある時、二人が一緒に戦争に行った。管仲は、前進するときは最後尾に止まり、撤退するときは真っ先に逃げた。みんな「管仲は臆病者だ」と言ったので、鮑叔は管仲に替わって直ぐに言った:「君たちは管仲を誤解している。彼は死を恐れているのではなく、母の世話をするために命を捨てるわけにはいかないのだ。」

 その後、斉国の王が死に、諸(zhū)王子が国王になった。諸は毎日遊び呆けていたので、鮑叔は、斉が必ず内乱になると予感し、小白王子をつれて莒(キョ)国に逃げた。管仲も別の糾(jiū)王子をつれて魯国へ逃げた。

 しばらくして、諸は殺され斉国では本当に内乱が起きた。管仲は、小白王子を殺して、糾王子を国王にしようとした。だが、小白を狙った矢は、ベルトに当たっただけで、殺すことはできなかった。

 その後、鮑叔と小白は、管仲と糾よりも早く斉に戻り、小白は斉の国王になった。小白は、鮑叔を宰相にすることにしたが、鮑叔は、「管仲の方が私よりどの分野でも優れている。管仲を迎えて宰相にした方がよい」と言った。小白は「管仲は私を殺そうとした。彼は私の仇敵だ。なぜあなたは私に彼を宰相にしろと言うのか」と言った。鮑叔は、「彼をそれでとがめることはできません。彼は、彼の主人を助けるためにそうしたまでです」と言った。

 小白は鮑叔の話を聞いて管仲に戻って宰相になるように頼んだ。管仲は小白を助けて、斉国を非常によく治めた。

 管仲はいつも言った:「私が貧しかったころ、鮑叔と一緒に商いをし、儲けを分ける時に私が多くとっても、鮑叔は、私が金をむさぼっているとは思わなかった。彼は私が貧しいことを知っていたからだ。私が鮑叔に替わって事をなし、結果、彼を困難な状況にしたとき、鮑叔は私を愚かだとは思わなかった。彼は、時に利、不利があることを知っていたから。私が官吏に何度も登用され、そして罷免されたとき、彼は私の才能を疑わなかった。彼は、私がチャンスに恵まれなかったことを知っていたから。私が何度も戦争に行って逃げてきたとき、彼は私を臆病だとは思わなかった。彼は、私には老いた母がいることを知っていたから。糾王子が失脚して、そのことで召怱が死んだ。私は囚われの身に落ちたが、鮑叔は私を恥知らずとは思わなかった。彼は、私が小さなことを恥とせず、功名を以て天下に知らしめないことを恥とすることを知っていたからだ。私を生んだのは父母だが、私を最も理解しているのは鮑叔だ。」

 鮑叔は管仲を推薦した後、彼は管仲の部下となった。鮑叔の子孫は、代々斉国で俸祿を得た。領地を得たものは十数代に及び、しばしば有名な大夫となった。

 人々は、管仲の才能を誉め称えず、鮑叔の人を見る目を誉め称えた。

 これ以降、友人同士の非常に良い友誼を誉めるとき、彼らは管鮑之交だと言うようになった。

―――――

  • 桓公(かんこう、前685年 –前643年)は、春秋時代・斉の第16代君主。春秋五覇の筆頭に晋の文公(重耳)と並び数えられる。鮑叔の活躍により公子糾との王位継承争いに勝利し、管仲を宰相にして斉を強大な国とした。実力を失いつつあった東周に代わって会盟を執り行った。
  • 管 夷吾(かん いご、生年不詳 – 前645年)は、中国の春秋時代における斉の政治家である。桓公に仕え、覇者に押し上げた。一般には字の仲がよく知られており、管 仲(かん ちゅう)としてよく知られている。
  • 鮑叔(ほうしゅく、生没年不詳)は中国春秋時代の斉の政治家。姓は姒、氏は封地から鮑、諱は牙、字は叔。鮑叔とも。桓公に仕えた。

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 今から2000年以上も前に、他人の心を読む時に環境要因に配慮すべきとしたのは、中華文明の先進的な面だ。ただ、その適用を友人に限定し、その目的を子々孫々の繁栄としたことは、内集団中心主義であり、西欧的普遍主義とは大きく異なっている。内集団の長期的な利益にかなうことは中国人にとって合理的だが、西欧的な合理性、つまり、集団によらずすべての人々にとっての真理であることとは少し話が違うのである。

 管鮑之交は中国の友情論だが、日本文化にはどんな友情論があるのだろう。あまり思い当たらないが、代表的なのはおそらく「走れメロス」なのだろう。日常で役に立ちそうもなく奇麗事とも言われかねないこの太宰治の作品は、きわめて実用的な管鮑之交と対比したとき、日本文化の特徴の一面を如実に語っているように思える。

 中国人の熱い友情は、日本人にとっても心地よいものなのだが、友情が裏切られた時にどうなるかも知っておいた方が良い。その時、中国人は今まで心に秘めていた元友人の悪行を、あることないことあらいざらいぶちまける。そしてそれは、元友人が最も大切にしている人々との信頼関係を台無しにしようとするものなのである。中国で暮らしていると、そうした場面にときどき出会うことがある。

祖父 岩村俊雄が朝鮮に残したもの

終戦まで京城(現在のソウル)の京畿中学校校長をしていた祖父が生まれてから今年で130年、釜山中学校に赴任してから101年になる。また、日韓基本条約締結から数えると今年で50年になる。

50年前の条約締結時私はまだ高校生だったが、 母から、
・祖父は昔の教え子に招待されて韓国を訪問し、
・「日本人と朝鮮人の学生を差別しなかった」校長として
・韓国の新聞に報道されるほど大歓迎を受けた
と聞かされた。

今では考えにくいが、その頃は日韓の間に親善ムードがあったのだ。

その後、国家間の関係は悪化の一途をたどったが、50年前私の祖父を歓待してくれた韓国人に、なお尊敬する気持ちを変えていない人々もいるのではないか。今年(2015年)に入ってなぜか気になりいろいろと調べてみた。

朴贊雄(パク・チャンウン)著『日本統治時代を肯定的に理解する 韓国の一知識人の回想』(草思社)には、「朝鮮人生徒を熱心に教えた教師たち『誠心誠意の人、岩村俊雄校長』」として、祖父についてとても丁寧な記述がある。少し長くなるが、関連部分を引用させていただく。

誠心誠意の人、岩村俊雄校長

・理工系に進むことを勧めた理由

 僕らが京畿中学に入学したときは、岩村俊雄校長が同校に赴任して、ちょうど二年目の年だった。僕らが五年生に進級したとき、彼は勅任官待遇となって総督府の高い役職に栄転されたので、僕は五年間、彼の薫陶の下に中学生時代を送ったことになる。

 僕は彼に対して心から敬愛の情を持つ。彼は誠心誠意の人間であった。彼は京畿中学の学生達がよく勉強して、いい上級学校に大勢入れるように一生懸命努力した。

 彼の目的は何であったろうか。普通一般の校長のように、特に韓国の解放以後の各級学校長のように上級学校にたくさん入れて手柄を立てようとするのではなくて、朝鮮の近代化にしっかりと貢献できる、有為な青年を多数創り出して、結果的に日本の力にしようとする真面目さが目に見えていた。

 彼は国体がどうのとか、日本精神がどうの、上御一人がどうのというようなことは話されたことがない。彼は僕らに、できれば理工系の方に進むように勧めた。これが世の中に実際に役立つ学問であると強調された。それは僕も同感であった。特に韓国では理工系の学問の歴史が浅く、その道の人間も少ない。大体、合併以前に朝鮮には理工系の学校は一つもなかったのだ。日本は既に自製の軍艦と飛行機でロシアやアメリカとわたりあっているというのに。

 理工系の学校は、日本と合併してから日本人によって初めて建てられ、日本人の教授らによって初めて講義が行われたのである。だから彼の眼目は上級学校の進学率に非ず、朝鮮の科学的基盤を創らなくてはならないという信念がその根底に布かれていたのだと思う。

・徒歩矯正、教育展示会に示された親心

 当時学校では、毎朝登校すると教室に鞄を置いて、全校生が校庭に並んで朝会を行った。それは僕が通った師範付属でも同じことだった。小学校では冬の寒い日は朝会を省略した。朝の気温が零下十度以下になると校庭の指揮台に赤い旗が立った。この旗がハタハタとひらめいていたら、これは朝会抜きの信号で、僕らを喜ばせたものである。中学校では零下十度以下でも朝会は強行された。

 朝会で一番長いプログラムは校長訓話である。岩村校長の訓話はいつも長かった。これで終わりかなと思ったら、「ナオ」と一声してまた続く。今度は終わるだろうと思ったら、更に「ナオ」の一声でまた続く。彼は幾ら長く話しても、まだまだ話し足りないらしい。生徒らに「ホントにしっかりしてくれ」と頼むような口ぶりだった。

 岩村校長は生徒らに剣道を奨励した。全校生に剣道が正科として課せられていたのだから、奨励というより重点が置かれたわけだ。講堂と同じ広さの武道場が建った。これには一千人用の道具を納める準備室もついている。放課後の地稽古には、希望者は誰でも参加するよう奨励された。

 当時は一切の球技が皆すたれた状態だった。時局が進むにつれて蹴球、野球、籠球、排球、庭球等は肝心のボールが運動用品店に出回らなくなったので、仕方なしに(?)各中学校で、剣道や柔道が盛んになったとも言えるだろう。

 僕が三年生か四年生のときだった。岩村校長の発案で、毎日授業が二時間すむと全校生が校庭に集められ、軍歌を歌いながらスピーカーの音楽に合わせて校庭を行進させられた。

 彼は言う。

 「君達が歩くのを見ていると、真っ直ぐに立っていない。足を真っ直ぐに出していない。正面を見ていない。グニャグニャと歩いている。これではいけない。真っ直ぐに堂々と歩かねばならない」

 というわけで毎日全校生が運動場を行進した。担任の教師達も出てきて一緒に歩きながら監督した。

 僕はこれを有り難いことだと思った。これはホントの親心がなくてはできないことである。毎日三十分間の「徒歩矯正」のおかげで、多数の生徒らのグニャグニャした歩き方が改善されたことだろう。僕は今でも韓国人の歩く姿勢や座った姿勢が、一般的には水準以下だと思っている。

 京畿中学校の教育がどういう風に行われているかを父兄らに見せるために、岩村校長は学期ごとに(年三回)教育展示会を開催した。校長が父兄らに招待状を送り、この日学校では大体正常通り授業を行いながら、生徒の家族らに一日中、自由に学校のすべての教室、講堂、武道場、校庭の隅々までくまなく出入りさせて観察させた。武道場では剣道の授業が行われたし、校庭では体操や教練の他に、乗馬部の生徒らの騎馬訓練とか滑走部員のグライダー訓練も行われた。

 こういうことも岩村校長の新しい試みで、彼の生徒を思う誠実性の表現であったと僕は思う。

 岩村校長はまた漢詩を吟ずるのを愛して、生徒らに自ら詩吟を指導したり、外部から講師を招聘して生徒らを指導させた。詩吟の練習はみな武道場に正座して行われた。

 彼が特に愛誦した七言絶句二首は次の通り〔二首めは上杉謙信の『九月十三夜、陣中作』〕。

 少年易老学難成 一寸光陰不可軽 未覚池塘春草夢 階前梧葉已秋声

 霜満軍営秋気清 数行過雁月三更 越山併得能州景 遮莫家郷憶遠征

 今や韓国では義務教育になって、全国的に中学校は数千校にもなるだろう。しかしその当時中学校は京城に公私立を合わせて十数校しかなかったと記憶する。

 僕の手元に、宇垣一成朝鮮総督が、昭和九年(一九三四年)九月に京城帝国大学講堂で全国中学校長の会合に出席して「朝鮮の将来」という題目で丁重懇切な講演をした原稿がある。これを見ると、当時の中学校長は今の大学総長以上の尊敬と社会的待遇を受けていたかに見える。

 昭和二十年版『朝鮮年鑑』によると、岩村校長は高知県出身、明治十八年(一八八五年)生、高知師範卒と出ている。

 官舎は京畿中花洞校舎内にあった。ご家族は校長ご夫妻と娘さんお一人だったらしい。当時娘さんは毎朝女学校の制服を着て、逆の方面から怒涛の如く押し寄せてくる一千名の京畿中学生の揺るぎない視線を浴びながら、なだらかな坂道を急ぎ足で安国洞方面に歩いて行ったものだった。今日本のどこかで幸福な老年を過ごしておられるだろうか。

 追記 私は二十年ほど前に京城師範付属第一小学校の同窓会機関紙第一号(一九七二年刊)を手にしたが、今日(二○○四年七月十三日)、偶然にもそこに会員竹埼佳子のお名前の下に「旧岩村」の三字を見つけた。

 もしやと思って直ちに彼女に電話を入れたところ、期待通り彼女は岩村校長のご令嬢であることがわかった。何たる喜びぞ!僕は彼女に、私が岩村校長時代の生徒で、先生を深く敬愛しているということと、私が書いた、先生に関する思い出の短文を郵便でお送りするということを話して電話を切った。(二○○四年記)


京城(ソウル)での岩村家の人々(1930年代後半)

祖父(以下、岩村)が理工系の教育を重視していたことは、彼が40歳の時に「普通学校に於ける理科教授法」(『文教の朝鮮 十月号』p.55, 1925-10-01)を執筆していることからも分かる。中国や朝鮮の教育は伝統的に文系中心だ。中国では今でも、挨拶で四字成句を連発する高級官僚が多数いて、中国文化に疎い外国人を困らせる。中国文化の素養では今でも中国が突出している。しかし一方で、西欧的論理思考に強い中国人はまだまだ少なく、そうした事情は戦前の朝鮮ではなおさらだったと思う。

朴贊雄氏は1975年にカナダに移住し、トロント韓人会会長を勤めたあと、2006年に亡くなられた。親日派と見られる人々は韓国では暮らせず海外に移住したと言うことなのかも知れない。

この他には韓国のネット上にユ・ヒョンソク弁護士の「私の告白」があり、そこに岩村にふれた次のくだりがある(韓国語からインターネット翻訳):

『3.あなたの生涯で最も大きな影響を与えた人、あるいは本や思想は?
   私が通った京畿中学校校長だった岩村俊雄先生である。 彼は日本人だが、監獄から出た民族教育活動家キム・ギョシン(金教臣)先生を講師に委嘱して、私たちがその講義を聞けるように用意してくれたりもしました。』

・ヒョンソク弁護士は、韓国カトリック正義平和委員会会長などを歴任された人権派の長老弁護士で、1993年に韓国国民勲章を受賞され、2004年に亡くなられている(より詳細はここ)。

なお、岩村が、入学試験での民族的差別に反対していたことは、ネット上に公開されている論文:「植民地学歴競争と入学試験の準備競争の登場」(原文、韓国語。インターネット翻訳)にふれられている。

岩村が朝鮮のこれら若い人々を感動させたものは何だったのか?なぜ、彼らは「誠心誠意の人だ」と感じたのか?

その背景にある事実は以下のものだ:
・朝鮮の科学的基盤を創らなくてはならないという岩村の信念に朝鮮人学生が共感した
・朝鮮人学生達がよく勉強して、いい上級学校に大勢入れるように一生懸命努力したと学生が感じていた
・学生らに「ホントにしっかりしてくれ」と頼むような口ぶりだった
・学力向上に父兄をまきこむために、岩村は年三回の教育展示会制度を新たに作った
・監獄から出た朝鮮民族教育活動家を雇用して生徒に教えさせた
・入学試験での民族的差別に反対し、朝鮮総督府の官僚として制度改善に努力した

中国で7年近く会社経営をした私が感じるのは、このようなことは中華文化圏では普通には考えにくいことだと言うことだ。中間管理職が自分の倫理観に基づいて上からの指示・命令とは独立に行動することは、朝鮮が長く属していた中華文化圏では大きなリスクをともなう。

中国では「罪は九族に及ぶ」とされていて、親族が連帯責任を負わされる。明の新体制に反抗した方孝孺の一族800余名は彼の目の前で一人ひとり処刑されたし、清の雍正帝による文字の獄も有名だ。権力に逆らうと自分が最も大切にしている人々に禍が及ぶ。こうした「みせしめ」が中華文化圏における権力行使、秩序維持の最も代表的で効率的な方策であり、これは現在の中国共産党にも踏襲されている。

汚職のように、自己や親族のためにリスクを犯すことは中華文化圏でよく行なわれることだが、まったく縁のない異民族の人々のために倫理的に行動することは、中華文化圏ではまさに「誠心誠意」なのである。

私は、多くの外国人と交流してきた経験から、日本人が倫理観で特に優れているとは思わない。では何が違うのか?

このグラフは、ホフステードの「権力の格差」指標と「集団主義・個人主義」指標でアジアの国々をプロットしたものである。

日本は、西欧に比べると文化的に個人主義とも平等重視とも言えないが、アジアの中では言える。日本はアジアで突出して個人主義であり、かつ権力格差が小さい国なのである。
・日本とインドを除くアジアの国々は、図で下の方に位置するが、これは「ホフステードの集団主義」すなわち「大家族が運命共同体を形成」していることを意味する。これらの国々では、自分が所属する大家族の利害と無関係な目的のために、この集団をリスクにさらすことはありえない。
 日本はこの指標が相対的に小さく、リスクはあるとしても、家族と仕事は別の話ととらえられている。
・一方、図で日本は最も左に位置するが、これは権力の格差がアジアで最も小さいことを意味している。より平等であると言っても良いが、権力をそれほど恐れていないと言うことである。

権力を恐れずに、自らの信念に基づいて行動できるのが、アジアの中での日本人のきわだった特徴なのである。

この特徴には、岩村の他にも多くの事例がある:

・在リトアニア日本領事館の杉原千畝領事代理が、本国からの訓令に反し、ユダヤ人避難民へ通過査証を発行し続けたこと
・28歳の係長に過ぎない堺屋太一氏が万国博覧会の開催を運動して実現
・彼は、この中堅官僚プロジェクトの元祖は石田三成だと言っている(堺屋太一『日本を創った12人』)
・富士通信機製造の一企画課長が役員の海外出張中に独断で電算機事業への参入を発表した。その結果が今の富士通
・本国の命令を聞かない旧満洲の関東軍
中間管理職が日米戦争を決めた

善くも悪くも、日本は中間管理職に動かされてきた国と言えるのではないか。

日本の植民地政策は、家族と言う最も基本的な価値観の枠組みを変えることはなかった。しかし、権力に対する見方には強い影響を残した可能性がある。中華的価値観の元祖である中国に比べ、権力格差の軸で台湾と韓国が大きく左(より平等)に移ったことを、何か他の原因で説明できるのだろうか。

私たちは私の祖父を含めて文化的には「西洋の衝撃」の時代に生きている。日本と韓国の対立といった枠組みではなく、東アジアへの西洋の衝撃の一つの局面としてとらえると、岩村は確かに一つの足跡を残したと思う。

岩村は定年後も朝鮮に留まることを決め、予定していた東京ではなく朝鮮で自宅を購入したが、定年のその年に終戦となりすべての資財を残して日本に引き上げてきた。国家間の関係やこうした個人の生活は、歴史のうねりに大きく翻弄されるが、若い人々の心に刻まれたものは、その後半世紀、あるいは世代を越えて残される。

今の韓国で親日的発言をすることはリスクをともなうと思う。そうした中での彼ら、祖父の教え子たちの個人としての誠意ある発言に敬意を表したいと思う。

韓国のネット上には、この他に「釜山高60年史」や「京畿高 開校百年」に岩村に関する記述があるが、これらは組織集団の歴史記述であり、多かれ少なかれ内集団バイアスが入っている。「誠実さ」と言う個人が持つ道徳性は集団には求めることはできない。

福島に関するフランスの報道記事について、私がフランスの友人に説明したこと

日本の報道機関には大きく二極あって、まったく異なる報道をしています。欧州の報道機関は、その一方の情報のみを使う場合が多いのです。
TF3
の福島に関するドキュメンタリは日本では全部は見られませんが、おそらく原発反対の立場での日本での報道を、さらにセンセーショナルにまとめているようです。こうした報道機関の日本の記事は割り引いて受け取る必要があります。

ほとんどのジャーナリストは、毎日、時間に追われています。毎日毎日原稿の締めがありますから、正確性を犠牲にして、報道の納期やビジネス価値を優先するのです。

正確な記事を書くには、ゆっくり時間をかける必要がありますが、それは、しっかりしたビジネス基盤と豊富な資金が欠かせないと言うことです。

欧米の報道機関の内、日本顧客向けビジネスとして本格的に日本に進出しているのは Wall Street Journal であり、その記事は日本でも尊重されています。

日本の報道機関で、財源がしっかりしていて、報道が正確で信頼できるのはNHKです。

福島に関しては、NHKの特集サイトがあります。子どものガンの記事や、海水汚染に関するリアルタイムモニターがあります。英語版やフランス語版がないのは残念です。

子どもの甲状腺検査
がん・がん疑い103人

〈原発事故
海水リアルタイムモニター〉

このNHKの二つの報道は正確です。しかし、それを理解するには、科学リテラシーが必要です。特に、統計学の知識はmustです。これら二つの記事を以下に補足説明します:

・ガンに関しては、異常値は検出されたけれど、汚染されていない地域との統計的有意な差はなく、福島が他の地域に比べ特に悪いとは科学的には主張できないと言うことです。

 身体の異常は、放射線がなくても起こりうると言う、当たり前の話しか測定できていないのです。関連するWall Street Journalの記事はここ

・海水の方は、もちろん汚染はあるけれど、基準値をはるかに下回っていると言うことです。

 Bq/Lは見慣れない単位ですが、放射性ラジウムであれば、1リットル中に10-11g 含まれていると言うことにあたります。10万tの超巨大タンカーに入れても、0.003 gにしかならないのです。しかも、この1Bq/Lの量でさえ、福島の海では検出できない日々が多いのです。

 記事に「汚染水が毎日数100トン放出されている」とあり、それは事実でしょうが、放射性物質の量で言えば、多くてもラジウム換算で0.00001g前後に過ぎません。

「西洋の衝撃」の時代

世界史と現代を「文化」の視点で展望すると、現代は「西洋の衝撃」の時代となる。16世紀ころから始まって今も続いている。
文化軸で歴史はきわめてゆっくり流れるが、長期的には変化は著しい。
衝撃に対する流れには二極あり、一つは日本やトルコの「脱亜入欧」だし、もう一方はイスラム原理主義だ。
ロシアは脱亜入欧の元祖と思っていたが、プーチンはもう違うと言っているらしい。それに影響を与えたのは中国かも知れない。
韓国では、脱亜入欧が日本化とオーバーラップしていて「裏切り」のように言う人がいるらしいが、中国では政府以外ではあこがれの方が多いのではないか。
日本人にとって「脱亜入欧」は自然だが、この方向で価値観の多様化が進むと、社会はアノミー(明白な規則や規範、価値基準がない社会状態)化しかねない。
日韓や日中関係も「西洋の衝撃」の視点で見ると、腑に落ちることが多い。私の人生もそんな気がする。

参考までに、私の放送大学での講義資料を添付します。

日本と文化的価値観で近い国々

ホフステードの文化的価値の指標を使って、世界の国々の文化的遠近関係を大雑把に見ることができます(参考記事:「日本文化の孤立状況を数値化して地図にする」)。

日本と比較的価値観が近い国々を調べるため、日本とのコグート・シン指数が小さい国々を順に20ヶ国並べてみたものが以下の表です。日本はアジアに位置しながら、文化的価値観ではむしろヨーロッパの国々に近いことが分かります。

国名 pdi idv mas uai lto ivr ks指数
1 ハンガリー 46 80 88 82 58 31 0.870
2 イタリア 50 76 70 75 61 30 1.064
3 チェコ 57 58 57 74 70 29 1.067
4 ドイツ 35 67 66 65 83 40 1.069
5 スイス 34 68 70 58 74 66 1.225
6 ベルギー 65 75 54 94 82 57 1.266
7 オーストリア 11 55 79 70 60 63 1.499
8 ポーランド 68 60 64 93 38 29 1.621
9 ルクセンブルク 40 60 50 70 64 56 1.636
10 ギリシャ 60 35 57 112 45 50 1.683
11 台湾 58 17 45 69 93 49 1.851
12 マルタ 56 59 47 96 47 66 1.920
13 ブルガリア 70 30 40 85 69 16 1.955
14 スロバキア 104 52 110 51 77 28 1.984
15 フランス 68 71 43 86 63 48 1.993
16 韓国 60 18 39 85 100 29 2.027
17 ブラジル 69 38 49 76 44 59 2.076
18 トルコ 66 37 45 85 46 49 2.099
19 スペイン 57 51 42 86 48 44 2.110
20 パキスタン 55 14 50 70 50 0 2.188
日本 54 46 95 92 88 42


pdi:権力格差、idv:個人主義、mas:男性らしさ、uai:不確実性回避、lto:長期指向、ivr:放縦と抑制)

戦後、家制度が崩壊したことが大きく影響しているのでしょう。家のためと言う集団主義と家父長の権威が衰えると、個人主義のヨーロッパに近づくのです。

文化は、その担い手の世代が交替するにつれゆっくりと変化します。それがどのように変わるか予想はできないのですが、期待することはできます。

文化的価値観で日本に近い国々の中で、より幸福な国々はスイス、ベルギー、オーストリア、ルクセンブルグです。

日本語版Kindle本をPCで読めるようにする”Epubor Ultimate”

Kindleとの付き合いは、国内販売される以前に遡る。外国語の本は、輸入するよりダウンロードする方が圧倒的に簡単だしそれに安い。使っていたのはPC 上でKindle本を読めるようにするKindle for PC。

Kindle Paperwhiteは、国内販売が始まってすぐ買ったのだが、使う内に日本語版Kindle本がKindle for PCでは読めないことに気がついた。なんかの手違いだろうくらいに思っていたが、いつまでたってもこの問題が解決される気配がまったくない。Amazonのサポートにも電話したが、一向に埒があかない。

小説を読むのならPaperwhiteでも良いのだが、新書や雑誌となると写真や図表が多く、    Paperwhiteの小さな画面では現実的に読む気にならない。「これは詐欺だ」とやっと最近気がついた。Amazonは、不埒にも読めない本を堂々と売っているのだ。

騙されたと気づいても時既に遅しだ。Kindle本は既に結構買ってしまっているし、それを無駄にする訳にもいかない。じゃ、どうするか。いろいろ考え調べたが、以下の4つの方法があるらしい。

  1. Androidなら日本語版Kindle本が読めるので、大画面のAndroidタブレットを買う
    2~3万円の追加投資になる。
    この案も真面目に考えたのだが、既に、Nexus5, Surface Pro, Desktop PCと使っていて、更に端末を増やす、それも、Kindle本の写真や図表を見るためだけに買うと言うのはいかにも馬鹿げている。結局却下。
  2. スマホ(Nexus5)をPCの液晶画面あるいはTVに接続する。
    Slimport/HDMI/DVI/VGA変換器とか切換器とかを5,000円くらいで揃える案だ。
    スマホ上のビデオをTVで見たいとかのニーズがあれば、この案も良いのかも知れないが、そうしたいとは私はあまり思わない。写真や図表を見るためにいちいちそんな接続をするのかどうか?
    「使える」と言う感じがしない。
  3. Windows上でAndroidアプリを動作させるBlueStacksなるフリーソフトがある。これを入れて、その上でKindle for Androidを動かすことができる。
    PC上でAndroidのゲームを動かすのであればこの案もありうるのだが、Kindle本の写真や図表を見るためだけに、新たなアプリケーション環境を起こすのは負担が重すぎる。こう言うソフトは、どうせたくさんバグや制限があるものだから。
  4. 購入した日本語版Kindle本を、EPUBなど別の形式に変換してPC上で見る。
    そのためのEpubor Ultimateなるソフトが45ドルで売られている。
    どこまで使えるのか分からないソフトに45ドルも払うのはリスキーなので、販売協力(=このブログの執筆)することで、取り敢えず1年ただで使うことにした。

 

【Epubor Ultimateで何ができるか】

Kindle PaperwhiteをUSBでPCに接続し、EPUB形式に変換したいKindle本をPCにコピーする。そして、このソフトにKindle Serial Numberを設定しておけば、EPUB形式に変換してくれる。

EPUB形式の本を読むソフトはEPUBリーダーと呼ばれ、いろいろあるようだが、私は今のところ「AIR草紙」を使っている。

変換した結果、新書はほぼ問題なく読めている。図表なども大画面では圧倒的に見やすくなる。問題があったのは週刊ダイアモンド。週刊誌は段組が複雑だし、写真もいっぱい。問題がEpubor Ultimateにあるのか、AIR草紙にあるのかは、今はまだ分からない。

 

Epubor Ultimateの良いところは、変換の時だけ動かせば良いことだ。一旦変換してしまえば、PCやSurface Pro上で普通に読むことができる。これは、他の3案にはない利点だ。

Epubor Ultimate は、以下のサイトからダウンロードできる:

http://www.epubor.com/

放送大学面接授業『海外ビジネス展開と異文化対応力』のまとめ

2014-05-17と24の二日間、放送大学文京キャンパスで行った私の8回の講義のまとめを載せておきます。

さらにキーワードを絞るなら:

・アイスバーグ理論(人間性、パーソナリティ、国民性=国民文化)

・自分の内なる人間性とその限界に気付き、活用し,強化する

・自分の使われていない能力の存在に気付き、活用し、強化する

・国民文化に関する研究の進展に着目し、その成果を活用する

・言語、非言語メッセージ、交渉戦略を意識する

・心の二過程モデルを活用し、

・異文化に対応する「情報に基づく直感」を培い続ける