漢字の訓読み

日本語の語彙の非常に多くが中国語に由来する。みんな知っている音読みの語だけでなく、訓読みと思っている「うま(馬)」や「うめ(梅)」も明らかに中国語起源だ。そんなものも含めて全部取り去って、ほんとうの訓読みだけの生活を思考実験してみる。

そこで気付くのが、「てら(寺)」と言う言葉だ。この発音は、中国から来たとは思えないのだが、漢字が伝来する前の日本列島に、寺があったのだろうか?

訓よみの起源から考えれば、漢字伝来の前に寺があったはずだし、「寺」と言う概念もあったはずなのである。でも、ほんとうにそうなのだろうか?

この私の疑問に答えてくれたのが、漢字伝来以前の弥生・古墳時代に伝わった朝鮮語からの借用語(日本語千夜 小林昭美-050)と言う可能性だ。

朝鮮の言葉を、今のカタカナ語のように取り入れた時代、朝鮮の文化にあこがれていた時代があったのだと言う可能性だ。

そう言えば、さっきの「うま(馬)」や「うめ(梅)」も朝鮮半島起源なのかも知れない。

ただ、小林昭美さんの論文の中で、借用語らしく思えるのは「てら(寺)」の他は「くつ(靴)」や「うま(馬)」ぐらいでしょうか。それ以外のほとんどは、縄文時代から日本にあっても不思議でない概念であり、言葉のように感じます。言葉が借用されるのは、新しい物や概念を語りたいと思う時です。水と言う言葉の語源となると、数万年以上昔の話であり、別の議論が必要でしょう。
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漢字の音読み

先週、探し物をしていて、8年前に読んだ日本語の起源に関する論文が目に入り、改めて読んでみた。

この論文で言う 日本語と朝鮮語の「ただごとでない」似方 は、2010年の旧正月に訪れた慶州(写真)で私も感じ、ずっと興味を持ってきたテーマだ。ただ、中国語のおびただしい語彙と概念を日本語に取り入れたのは、朝鮮半島系の渡来人主導であったであろうことを考えると、似ていて当然のようにも感じる。

今のフランスが位置する地域は昔ガリアと呼ばれていて、シーザーが征服する前はケルト系の言葉が話されていた。しかし、ローマ帝国の数百年の統治で、ケルト語は忘れ去られ、人々はラテン語の方言を話すようになったのである。これは強制されたからではなく、ガリア人がローマの文化にあこがれ続けたからなのである。言葉と言うものは、数百年のスケールで考えると、とても、移ろいやすいものだ。

最近のカタカナ語の氾濫と同じような漢語の氾濫が、言わば韓流渡来人主導の形で弥生・古墳時代に数百年続き、その痕跡が、今の日本の漢字文化の基礎をなしている。
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多国語の学び方(1):音読み、訓読み、中国語読み

9年前、54歳の時に三つ目の外国語である中国語を学び始めた。

中国赴任の話はまだまったくなかったが、出張は増えていて、タクシーくらいは使えるようになりたいと言うのが当初の目的だった。ただ、長期的には中国語もマスターしようと言う気持ちもあり、基礎はしっかり学ぼうと思った。

基礎の基礎は発音であり、また、それを聞き分けるようにすることである。

中国語はすべて漢字で書かれているのだから、5~6割がた意味は分かるはずであり、発音と言うか漢字の読みを憶えれば語学力でかなりのレベルに達する。

教材は、「上野恵司著 中国語発音の基礎 (CDブック)」。

発音の仕方を、教材に書かれている通り完全に体で覚えることがまず大事。まず発音できるようにし、次に、聞きわけられるように練習を繰り返す。そう、学習開始当初は、発音はできても聞きわけることはできていない。この状態は何カ月、あるいは何年も続く。自分が聞き分けられないとしても、中国人の多くは聞き分けているので、教材に書かれている通り、精確に発音することを続けなければならない。

練習は、教材のCDをMP3プレーヤーに入れて、毎日の通勤時に繰り返し聞く。そして、聞きながら自分で発音し、CDの発音と自分の発音の違いを注意深く聞き、違いがあれば少しずつ発音方法を修正していく。これを4ヶ月くらいやった。

単調な作業だが、とにかく、これをマスターすれば、あとは、きわめて楽なはずなのである。

日本人は、漢字の書き方、字義、音読み、訓読みをすでにマスターしているのだから、中国語習得の基本は、もう一つ中国語読みをマスターするだけなのである。

リーダーシップと人類学

「リーダーシップに必要なのは、少しばかり、人類学者のように考えてみることだ。人類学者は、未知の世界へ舞い降りる。そして、その世界についてじっくり学んでから、何をすべきか、何をしてもいいか誰と何をし誰に協力してもらうかを決める。(ロナルド・ハイフェッツ教授のリーダーシップ白熱教室 第5回、NHK)」

学生時代の2年間をフランスで過ごして何が変わったかと言うと、日本とフランスの二つの視点をいつも切り替えながら周りを見るようになったことだと思う。

中国に駐在しても、「ここは日本と共通かもしれない」「ここはむしろフランスに近い考えかもしれない」「ここは中国に特有なところであり、自分の価値観を修正するべきところかもしれない」と言うふうに、周囲を眺め、その背景にある価値観が何かを常に考えている。

これは人類学者の行動様式なのかもしれない。

多様性の尊重は、単なる寛容さではない。「あなたはあなたの好きなようにすればよい。私も私の好きなようにする」だけでは限界があり、解決しない問題は多い。いつか決定的にぶつかるかもしれない。

多様性を尊重すると言う姿勢は、人類学者のようにその世界をじっくり学ぶことから始める必要がある。

多様性の尊重

最近、テレビをリアルタイムで見ることはほとんどなくなった。HDDレコーダーにとっておいたものやNHKオンデマンドなどを見ている。これだと、好きな時に見られるし、大事なところは繰り返し見られる。

多様性の尊重については、「緒方貞子 戦争が終わらない この世界で」 で緒方さんが最後に語っていた言葉「大事なのは多様性の尊重」が忘れられない。

また、ハーバード ケネディスクールのロナルド・ハイフェッツ教授のリーダーシップ白熱教室でも、リーダーシップの重要な一要素として熱く語られている。この講座は、リーダーシップとは何かを、生物の進化になぞらえながら極めて明快に語ってくれる。つまり、生物は多様性なしに進化はあり得ず、社会でもこの多様性をいかして進化させるのがリーダーシップだと。

もはや、テレビを見ているのではなく、大学院の授業を受けている感覚になる。

海外ビジネス展開に必要な語学力、異文化対応力、多様性の尊重などについて発信します