以前の投稿(漢字の音読み)でふれた「日本語と朝鮮語のただごとでない似方」の元となった岡崎久彦著『隣の国で考えたこと』(中公文庫)をAmazonで取り寄せて読んでみた。
似ているのは漢字の読み方の他、一種の造語法(岡崎さんは文法としている)と農業用語や鳥の名前があげられている。一種の造語法とは、例えば、「やってみる」「やっておく」とかの「みる・おく」のようなこと。
でも、これは中国語からきているのかもしれない。「試試看」(試してみる)の看が文字通り「みる」にあたる。
中国人はときどき変な日本語を話すことがあるが、多くは中国語からの直訳表現である。これらも他に表現しようがなければ、日本語になってしまうのかも知れない。あるいは、隋や唐から帰ってきた人々が流行らせたのかも知れない。名詞は「音読み」の仕組みを使って漢語をそのまま日本語に持ってきたが、動詞がらみの表現は直訳表現がそのまま広まったのかも知れない。
「田んぼ」とかの農業用語の方は、先の「てら(寺)」同様にたしかに弥生時代に朝鮮から日本に入ってきて広がった言葉なのかも知れない。「田んぼ」も、稲作伝来当時は先端技術であり、あこがれの対象だったであろうから。そんな言葉として、タンボ(タブッ)・ハタケ畑(パトウ)・ムラ村(マウル)・カサ笠(カス)・カマ釜(カマ)・ツルベ(トウレバク)があげられている。
鳥の名前はどうだろう?スズメ(チャムセ)・ツバメ(チェビ)・カモメ(カルメギ)・カリ(キロギ)・ツル(トウルミ)。朝鮮から伝来して流行ったとすると、どんな場面を想定すれば良いのだろう?発音としてもかなり離れているように感じるし。